« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »

2017年12月

2017年12月31日 (日)

心静かな年末を迎えて

 今年も、一年間お世話になりました。
ご支援賜りました皆様には、心から感謝申し上げます。
 一年間、あまりにも多くのことがあったが、もはや、議席を失った今、些細なことでしかないように思えてしまう。
1分単位で動いていた日々をあらためて振り返ると、何であんなに、忙しくしていたんだろう?、と思えてしまうほど...。
 都議選に向けての都民ファーストとの攻防や、衆院愛媛3区補選対策、また天皇陛下退位に向けての立法措置の取りまとめなど、日々、追われながら、夏には突然の代表戦に、続いての解散総選挙。
さらに、民進党解党宣言と希望の党合流と新党騒動。
そして、落選し、野に下って浪々の身となり、永田町と距離を置きながらの日々の政治活動...。
 今は、ただ、こうして年の瀬に、家族や親しい友人共々、無事に一年を終えることに感謝あるのみだ。
 消防団の年末警戒への激励も例年通り無事終えた。
日常の一断面を見れば、普段と何も変わらない年末のようでもある。しかし、多くの方々と接しながら、今の永田町政治から一定の距離を置いていることの意味を、感じる。
 今は、私は、心静かに市井で多くの人々の思いを受け止めるときなのだ。混沌とした時代だからこそ、原点に戻り、国民の思いがどこにあるのかを知るときだと思っている。
今年も...、今日も、いつものように、23時半には地元の氏神さんに家族と事務所の面々とでお参りのために向かう。
日常は、変わらない。
しかし、間違いなく、日々の積み重ねの中で、時代が動いている。
 今一度、時代が求めているのは、何なのかということを、見つめ直していきたい。
 皆様、よいお年をお迎えください。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2017年12月23日 (土)

年末の野党政局

 野党が年末に向けて、水面下も含めて動きだしている。
 当たり前だが、バラバラの野党では、政権交代など起きえない。
その当たり前のことが、できずに、先の総選挙の結果、民進党が無所属会派も含めて四分裂。特別国会は、野党バラバラのまま閉じてしまったが、さすがに次期通常国会はこれではマズイと考えるのは当然のことだ。
 そして、立憲民主党が、年内の県連組織立ち上げと地方議員の囲い込みを図りだした。これは、参院選に先立っての統一地方選を考えての行動だろう。
このような事態に対して、希望と民進が、少々前に、日刊ゲンダイでもコメントしたように、「待ち受け画面」でいたら、終しまいだ。
自ら起動する、アプリを立ち上げなければならない。
 そこで行われているのが、統一会派を模索しての両党の動き。
しかし、そうは、簡単にことは運ばない。9月28日の両院議員総会以来の、複雑な感情が入り交じる。
政治とは人が介在し、人と人とが、擦れ合う世界。
当たり前のように、「感情」が支配する。
これを、政治は「大局に立って」行うべき、と言うのは、正論だが現実的ではない。
14年間、永田町に居て、まさに、この、感情の擦れ、ぶつかり合いこそ、「残念ながら」とカギ括弧をつけるが、政治の本質なのだ。
 従って、希望の党と民進党の統一会派による連携・合流も容易ではない。
いや、今日、現在においては、両党個々の立場の方々の発言を目にする限り、「こりゃ、なりっこないだろ!」と、思うのも無理からぬところ。
 しかし、だ。
それでも、最後は大局に立つ以外になく、野党の連携は避けては通れない(...と、思っている)。
 このことは、野に下り、さらに浪々の身となれば、当たり前のことと思えるのだが、現職で永田町の渦の中にいると、そうはいかないのも、理解する。
今は、時間があり、様々な方とお会いして意見を聞くことができるので、拝聴していると、「そのような状況だからすぐには無理だ、ある程度時間が必要だ」、とのお話も多数いただく。
 もちろん、いわゆる、「まだ、日が高い」状況なのはわかる。
しかし、政治の世界では、それをわかりながらも、日が高かろうが、擦れながらもがき苦しみながら前に進めようとするプロセスが必要だ。
訳知り顔に、「まだ、まだ」という前に、それでも、今このときに、まとめるための汗かきを、現場の議員の皆さんに取り組んでいただきたいと強く望む。
 もちろん、私も、ノンバッジで、できることを模索し、実行していく。
 21日、希望の党では、環境が整った者、からの公認が発表された。しかし、これをもって、立憲民主党との覇権争いが始まったとみるのは早計だ。
むしろ、まだ、現時点では容易ではない、分裂してしまった野党の再結集の第一歩が始まったとみるべきだ。
私は、心静かに、自らを見つめ直す場所に立ち、変革に向けての闘志を燃やす。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017年12月 2日 (土)

皇位継承、残された課題

 1日、今上天皇の退位に関する皇室会議が開催され、退位日が再来年の4月30日、新天皇の即位日が5月1日となることが決定した。
◆皇室会議と退位
 皇室会議は、三権の長や皇族二方などで構成され、皇位継承順位の変更や皇族の婚姻、皇籍離脱などを審議する重要な役割を担っている。
退位については明治以降初めての例ということもあり、法律上、開催に関する規定はなかった。今春の退位法の制定にあたっては、衆参両正副議長の下で与野党が協議する形で議論が進められたが、民進党が皇室会議の関与を強く求め、私も交渉の先頭に立ち、皇室会議の意見を聞くという形で法律に取り入れられた経緯がある。
 皇室会議の関与を求めた理由は、憲法1条が、天皇の地位は、「国民の総意に基く」と規定する以上、退位は単に時の内閣の方針だけではなく、三権の長である衆参両立法府議長や最高裁判所長官などの意見を反映することが必要で、さらに、皇室問題の当事者である皇族方をも含めた審議が要請されると考えたからだ。
当時、民進党内でも、皇室会議に加えて、国会の関与を強く求める声もあったが、当時の皇位検討委員会の事務局長として取りまとめを図る立場の私は、国会関与を否定はしないが、皇室会議による議決を強く主張してきたものでもある。結果は「意見を聞く」にとどまったが、その成果としての今回の皇室会議ではあった。
この点で、今回、退位に関する皇室会議が開催された意義は大きい。
 しかし、今回、事前に退位日についての内閣の方針が報道され、それがあたかも既定事実であるかのように誘導がなされることで、皇室会議が形式的なものになってしまったのではないか、という疑問がある。
今上天皇皇后両陛下は、国民に寄り添うことを何よりも大切にされてこられた。
報道にあるような、官邸と宮内庁のメンツにこだわった綱引きによるかのような退位日の設定はあってはならないのである。国民生活に最大限配慮された退位日の決定こそ、陛下が望まれる形であり、決してそのことは、憲法4条に定められた「国政に関する機能を有しない」に触れることではない。十分に今回の立法趣旨を踏まえた決定プロセスになっているかどうかは、きわめて重要なことだと指摘しておくべき事柄である。
天皇退位については、今回の退位法が今後の先例となることを国会質疑において確認している。また、皇位継承のあり方についての議論も速やかに進められる予定だ。
皇位継承について、今後も皇室会議を開催して実質的な審議を行い、その反映がなされるような制度整備が必要なのである。
◆早急に皇位の安定的継承の議論を
 今上天皇の退位日は決定したが、今後の皇位継承のあり方についての議論はこれからだ。再来年に皇太子が即位されれば、皇位継承資格者は3人だけとなる。また、慶事ながら女性皇族のご成婚による皇族減少の問題もある。皇室の永続に向けた議論は一刻も早く進めなければならない。
 退位法成立に際しての付帯決議では、政府は安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等において速やかに検討を行うことが示された。また、私が質問に立った国会質疑においても、政府は退位後の具体的な検討に向けて適切な対応を取ることを明言している。
にもかかわらず、現時点で具体的な対応が進められている様子は見えない。政府には速やかな対応が求められる。
◆伝統、憲法と皇室のあり方
私はこの国の「はじまりの地」である奈良の人間として、我が国の伝統としての皇室のあり方について考え、退位の問題に取り組んできた。
また、今、憲法改正の論議が本格化しようとしているが、憲法は1章で天皇について規定しており、皇室のあり方を考えることは、憲法のあり方とこの国の形を考えることでもある。
一人の政治家として、我が国の伝統と憲法、そして皇室のあり方について、今後も、発信を続けていく。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2017年11月 | トップページ | 2018年1月 »