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2011年5月

2011年5月 6日 (金)

中長期対策事務局にて集中

 次女りいなの結婚の報に対し多くの方々から、お祝いの言葉
をいただきました。
ありがとうございました。

中でも、たくさんあったのが「お父さん、ぐずぐずになりまし
たか?」の問いかけ。

 もちろん式中、胸に迫るものはあったが、心の中で自分に言
い聞かせていた。

この震災によって、土地や家、職場を失い、地域を失い、そし
て最愛の家族を失い、涙を流している多くの方々がいる。
辛くて、悲しくて、耐えようのない苦しみの中で、どうしよう
もない思いの中で、涙を流している方々がおられる。

 そして・・・僕は、家族が、増える、中にいる。
・・・涙を流す時ではない。

個人の喜びは喜びとして、一方この未曽有の震災に立ち向かい、
必ず原発を鎮めるのだとの誓いを胸に刻んでいる。

挙式の時の両家のご挨拶の時にもそう話した。

そして、原発の日々の状況を見極めながら、対応に集中する。

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2011年5月 5日 (木)

旅立ちの日

 地元へはとんぼ返りで、東京に戻る。
・・・無事に終わった。

原発対応となって、何が起きるかわからないし、事態対処によっ
ては統合本部を一時たりとも離れることなどできないと、ある
程度覚悟はしていたけど、戻ることができた。

震災後でもあり、震災対応並びに原発対応となった今、一瞬ど
うしようかとも思ったが、新たな旅立ちの日を止める理由はな
い。送り出してやろう。

そう思って迎えた、次女の結婚式。
二十歳の花嫁。

六人の子育て、両方の両親の介護、仕事に、選挙に、と明け暮
れて、気が付けばもう嫁ぐような年に子どもは育っていた。

 花嫁の父。

想像と違って、不思議に落ち着いていた。
家での最後の挨拶、式場への送り出し。

なんとなく、こんなもんかとも思った。

ところが、バージンロードを歩み出すとき、僕の左腕に娘の右
腕が組まれた瞬間、胸の中がカーッと熱くなった。

ものすごく不思議な気持ちに包まれた。
よちよち歩き、手を引いて歩いた幼いころ、そのころの小さな
掌の記憶がよみがえった。

 新郎は、がちがちに緊張しながらも僕の前でにこやかに娘へ
と手を差し伸べた。うれしそうにその彼の手を取る彼女の腰に
手をやり彼のもとへと押し出す。
喜びに満ち溢れた二人の後ろ姿を見て、ようやく送り出す花嫁
の父の気持ちが実感を持って迫ってきた。

 あの時の、かつて娘の門限破りに激怒した僕に、謝りに訪れ
娘と二人正座し萎縮しきっていた彼が、今は自信に満ち溢れて
立っている。
不易塾日記2008年10月28日第1347号□■「限定」解除

とても、頼もしく感じた。

 補佐官として、震災に被災された皆さんや今も不安に苛まれ
ている原発事故被害者の皆さんを助ける立場に立っていること
もあり、二人には申し訳なかったが、身内だけの質素なものと
してもらった。

しかし、新たな旅立ちには変わりない。
親として、心からの祝福をもって送り出した。

二十歳。
短大を卒業してすぐの結婚。

昨年暮れ、就職が決まらないと言いながら、なんだかのんきに
してるなぁと思ったら、突然彼氏がやってきて結婚の申し込み。
そして、結納、挙式とあっという間のできごと。

確実に家族の物語は、次章へと紡がれている。

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「中長期対策チーム」が事態収束へ全力で

 補佐官辞令交付、原発対応担当に就いてから統合本部のもと
を離れることなく張り付いてきたが、40日ぶりに地元へ戻る。

統一地方選挙も一切奈良に戻ることができなかったが、原発対
応への取り組みについての励ましの電話やメール、ファックス
など、地元の皆さんの温かいご理解に心から感謝している。

いまだ、原発対応は予断を許さない状況であるが、先々週の金
曜日には日本記者クラブで講演をし、統合本部の状況を詳細に
お伝えした。
http://www.jnpc.or.jp/

 現在は、僕は統合本部の特別プロジェクトの一つである「遮
へいチーム」あらため「中長期対策チーム」の政府側代表者と
してチームリーダーを務めている。東電側はそれまでの建築土
木の責任者から原発の責任者である武藤副社長へと交代した。

原発対応における重要な課題である「中長期」の対策、将来の
封じ込めまでを視野において検討を行うチームであり、東電側
も原発の最高責任者を配することにより、事態収束への必死の
取り組みを示していると理解している。
ありとあらゆる事態に対処するための中長期対策チームである
からこそ、常に最悪のシナリオなり想定されうる最大のリスク
を念頭に置きながらの検討が中心になる。緊張が強いられる。

 一方震災も、ようやく復興への明るい希望の声が、少しずつ
だが聞こえてくるようになった。

女川の避難所から、数年前に僕が訪れた時の写真が漂流してい
たとして壁に貼られていたとの写メが届く。

流された会社や工場はもう元には戻らないが、再度イチから、
いやゼロから出発するとの勇気づけられる言葉が返ってくる。

一歩一歩、着実に前に進んでいくことへの、サポートを改めて
強く思う。

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