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2011年3月

2011年3月27日 (日)

震災と原発事故対応の総理補佐官辞令

 官邸から呼び出し。そして岡田幹事長からは「広報委員長」
の任を解くとの電話。

総理から、辞令交付。
総理大臣補佐官として「東北地方太平洋沖地震災害及び原子力
発電所事故の対応」を担当するとの命。

広報委員長として67日間、ようやく党務に慣れ、組織も機能
的に動き出したところだったが官邸からの要請。

さらには、まさに国難とされる震災と国民の不安の大きな要因
となっている原発事故の対応という重要な局面での総理補佐。
自らの使命と受け止め、全力を尽くす。

とにかく、現実の状況を確りと把握し対応を決断し実行に移す
ための補佐業務を遂行していく。

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2011年3月26日 (土)

救援・支援そして復興へ

 震災から二週間の総理メッセージが昨日出された。
原発はいまだ予断を許さない状況だが、一方で震災の復興に向
けての計画策定が急がれる。

 広報委員会としては、震災前に用意した広報ツールをすべて
見直し、震災対応という今まさに行わなければならない党広報
としての発信を行う作業にかかりきりだ。

知事選も告示がなされ、来週には統一地方選挙の前半戦のヤマ
場となる県議選がスタートする。
選挙どころではない、との国民の声がある一方で、すでに淡々
と選挙準備は進んでいる。

 被災地への支援は、同僚議員はじめ多くの仲間が自己完結型
で物資輸送、がれき処理などに向かっている。
当然、災害ボランティア室と政府対応とが連動しながらの支援
申請、支援要請のマッチングもあわせて実施。

政府・与党一体を実現していくためにも、党として行うべき課
題の整理が必要。

 復興に向けては阪神淡路大震災、古くは関東大震災の対応が
例示される。

確かに、阪神淡路では復興委員会の立ち上げまでに一カ月の期
間を要し、当時の村山内閣では初動の遅れを指摘されもした。

翻って関東大震災では、被災の翌日には「復興省」案が検討開
始され、被災後26日で「帝都復興院」として行政機関が措置
された。注目すべきはいち早く、「遷都せず」「欧米の新しい
都市計画を導入」などの基本方針を初代復興院総裁後藤新平が
打ち出したことにある。

まさに東日本における復興が、新時代の日本の再生を象徴する
ものとして、明確な理念とメッセージが問われるのだ。

今、この時期に求められているのは、平成の後藤新平たる「個
人」ではない。
理念、そしてそれを実現する行政執行のパワー、さらに調整機
能など、復興から再生、創生へとつながる、機能としての「後
藤新平システム」こそが重要なのである。

復興庁でも何でもいいが、初動における東日本復興のグランド
デザインを描く「仕組み」、「しかけ」が求められる。
急がなければならない。

 そして、船頭多いと、前に進まない。

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2011年3月12日 (土)

国民のチカラ

 現場からの災害対策要請が次々と届く中、一方でさまざまな
方面から災害対策支援の申し出も多数いただく。

とりあえず党の窓口としては幹事長室に一元化され、混乱なき
ように政府に伝達される仕組みができているのですべての情報
を幹事長室に上げていく。

現地の病院からは、地震による停電のため自家発電に切り替え
たがそのジェネレーターの燃料となる重油は残り15時間分し
かないとの連絡あり。被災地が陸の孤島と化している状況の中
で、こうした重油の補給のみならず現実の被害に遭われている
方々の人命救助に全力を尽くすことが、今の対応のいの一番で
もある。

 有識者、専門家の方々からの阪神淡路大震災の教訓をもとに
したアドバイスも的確だ。

こうした情報の交通整理をしっかり行いながら、党と政府一体
で被災者救援・救命・被害拡大防止に努める。

本部では災害後72時間の対応を最も重要と位置づけ、交代で
24時間対応を行うことになった。

また、月曜日には全議員対象に「対策本部総会」が開かれ、情
報共有を図る。

私たち一人一人が、今、何ができるかを真剣に考えなければな
らないとき。

今こそ、国民全員のチカラを集めるとき。

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情報収集と対応に集中

 一夜明けて被害状況が明らかになってくる。
そして、現時点においてもさらに継続的に被害が発生している。

党本部と官邸とのホットラインが引かれ、さらに官邸に党幹部
も常駐となる。
全国の県連、同僚議員からの被災状況、救援要請、あるいは詳
細な情報提供のラインがつながり次々に報告がなされている。

 また、夜を徹して、地震災害分析の専門家、交通インフラ専
門家の多くの方々から救援・復旧への迅速な行動へのアドバイ
スが届けられる。いずれも国交省時代に交流してきた専門家の
方々から。
現場対応の政府を混乱させることのなきように、情報を整理し
ながら党本部としての対応を決定していく。

 テレビ画面を通して、あらためて、早朝の陽光の中で見る惨
状に言葉を失う。
スタッフにも宮城の海岸線に実家がある者もいて、安否を気遣
うが全く連絡取れない状態が続いている...。

多くの被災の方々にお見舞いと、お悔やみを心から申し上げる。

 呆然としてしまいそうだが、立ち止まってはいられない。
なすべきことは何か!?を問いかけながら。

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2011年3月11日 (金)

東北地方太平洋沖地震

 広報の打合せ中、突然の揺れに一同黙り込む。
と、かつてないほどの激しい揺れが建物全体を襲う。

ただ事ではない状況は容易にわかった。

決算委員会から画面の変わったテレビ中継を見ながら、情報の
把握に努めるようスタッフに言い置いてすぐに幹事長室に向か
う。
官邸には赤色灯を回した総理車列が滑り込んでいく。

緊急招集として全役員にも連絡が入り幹事長室で緊急役員会。
すぐに、党の対策本部が設置され政府官邸との連携を取った
党の対応が俎上に挙げられる。

 政府では即座に災害対策本部が設置され菅総理が本部長につ
かれた。国交省時代、何度もシミュレーションしてきた緊急災
害対策が現実のものとなった。防災服を着込んでは官邸を訪れ
て来たのだが、今回は訓練ではない...。

そして、テレビに映し出される津波の状況に、息をのむ。

 すべての政治日程と予定していたスケジュールは白紙として、
全力を挙げてこの災害対策に取り組まなければならない。

党のホームページはすぐに緊急災害対策に向けての取り組みに
切り替え、義捐金のお願いを掲げた。

打てる手だてはすべて実行に移していかなければならない。
スタッフも泊まり込みの缶詰め状態。

党の災害対策本部は、明日朝からも開かれる。

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2011年3月 6日 (日)

ひと段落まで

 昨晩遅くまで、広報の打合せと撮影現場のリハーサルに立ち
合い、今日は朝から地方日程。
一日岡山で、東京での撮影は現場スタッフに委ねる。

もう少しで、広報委員会の仕事もひと段落しそうだ。
落ち着けば、全国行脚に入ろうと思っている。
広報委として、現場での戦いぶりを直に見、聞き、さまざまな
発信のフィードバックを効果的に進めるためにできる限り外に
出るつもりでいる。

予算審議、与野党攻防や、種々政局の話で喧(かまびす)しい
が、それぞれの立場で全力を尽くす以外にない。

淡々と、そして確実に一歩、一歩、前に進めていく以外にない。
焦ったってなにも事象は変わらない。
為ること為らぬこと、人知を超えてのこともある。

ひたすら、自分にできること、を全力でやりきる。

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