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2011年1月

2011年1月31日 (月)

「はやぶさ」のように

 初の与党質問。朝9時からの予定だったが、野党の出席がか
なわず、しばし待機。午後になってスタート。

90分。時事的に、目の前の課題としての霧島連山新燃岳噴火、
豪雪災害、鳥インフルエンザなどの政府対応について問う。

そこから菅総理の国づくりの理念である「最小不幸社会」につ
いて。そして、政権運営の基本認識について。
続いて外交問題。日米同盟、東アジア外交、対米対中議論。
防衛問題についても新大綱と新中期防について聞きたかったが、
時間を考えて予算関連法案の取り扱いについて。
44%にも及ぶ特例公債の比率は、関連法案成立がなされない
ことを許さない水準であることは間違いない。
具体的な国民生活への影響は、きちんと伝えないといけない。

社会保障と税の一体改革についても質したかったが、残念なが
ら時間が来てしまって、締めに入る。

どうして明るい面を見ないで、暗い部分にスポットを当てるの
か、という池上彰さんのコラムを引用しながら、もっとポジティ
ブに物事を考え、見、行動すれば、世の中もっと良くなるんじゃ
ないか、というメッセージを伝えたかった。

そしてさらに、オバマ大統領は一般教書演説で、54年前、ソ連
に世界初の人工衛星打ち上げで先を越されたアメリカが、奮起
してアポロ計画で人類を月へ送るという成果を生み出したこと
を指摘して、「スプートニクショック」を忘れてはならない、
いやむしろ新たなスプートニクショックの時代にアメリカは突
入していると語った。

一方、小惑星探査機はやぶさの帰還に沸いた昨年、私たちはあ
きらめずに粘り強く頑張ったことによる成果に心から賞賛を送っ
た。私たちは、どんなに厳しい試練があろうとも、耐えて貫き
通すことによって得られる成果の価値を知っていることを伝え
たかった。

スプートニクショックならぬ、「はやぶさの希望」を私たちは
大切にしなければならない。

菅総理には、リーダーとしてこうした前に向いたメッセージを
出してください!と最後にお願いしたかった。

目標は遠くに。
急ぎすぎず、着実に。
はやぶさのように。

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2011年1月29日 (土)

初の与党質疑

 火曜日の晩に、安住国対委員長から、予算委員会の初日基本
的質疑テレビ入り、与党のトップバッターで質疑をして欲しい
との連絡が入る。

さすがに、10日ほど前まで閣僚でいたのに全閣僚相手に政府に
予算質疑など勘弁してくださいよ、とお断りする。
少なくとも国交省の予算編成したのは自分だ。

すると、翌日の朝再度の電話。
こういう時の国対委員長は、くらいついて離さない感じ。

参ったなぁ。
殺し文句は、「党役員なんだから、党を代表してやってくださ
い。」
逃げらんない。

というわけで、明後日の月曜日の朝9時からの一時間半、予算
委員会のトップバッターとなった。
常会での総予算の予算委基本的質疑は、二年ぶりになる。
そういえば、08年末から09年初にかけて、「野党最後の予
算質疑」と気合をいれて会館に泊まり込んだものだ。
なんとなく懐かしい。

と、いうことで二年ぶりの、会館こもりきり週末。
心なしか、当時、泊まり込みをあれほど嫌がっていたシズちゃ
んが元気いっぱいだ。ま、こうして会館で皆で仕事すんのホン
ト久しぶりだしな。

「与党質問ってやったことないんですけどねぇ」と安住委員長
に話す。
若干の国対要請もあるが、委員長からは一言。
「馬淵さんらしくやってください!」。

えっ。

追及で、止めてしまいそうだ。

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2011年1月25日 (火)

将来交通需要推計と事業評価の見直し

 この一年四か月を振り返り、政策的に丁寧にかつ時間をかけ
て取り組んできたものの一つに、「将来交通需要推計」と「事
業評価」の見直しがある。

野党時代、道路国会でまさに国土交通省に切り込んでいく急先
鋒として予算委員会で取り上げたのがこの「将来交通需要推計」
と「事業評価」であった。

国交省ではいわゆる、技官、技術の世界であるため、ある意味
ブラックボックス化し、国会で取り上げあられることなど全く
と言っていいほどなかったテーマでもある。

2007年11月、当時予算委員だった僕は次期通常国会に向
けて「小泉政権の総決算」を行うべく、道路公団民営化検証を
行っていた。
その時に遭遇したのが「将来交通需要推計」なるものだった。
道路公団の民営化の是非を問うべく、資料の山に埋もれながら
悪戦苦闘のさなかに「道路センサス」という見慣れない単語に
出くわした。

 すでに、耐震偽装問題で建築行政に関わった経験があるとは
いえ、建築確認というシングルイシューでもあった。
しかし、その時は、まさに道路問題に端を発する公共事業全般
に関わる課題に直面したのである。
この瞬間こそが、その後国交行政に深く関わることになった起
点だったと言っても過言ではない。

そして、極めて素朴に「人口減少社会にもかかわらず将来にお
いて交通量が増していく予測」に疑問を抱いたのでもあった。

その後のことは、08年の道路国会において冬柴大臣を相手に
「将来交通需要推計」の議論をテレビ入り予算委員会で行った
ことでご存知の方もおられると思う。
国交行政における、僕のこだわりの原点でもある。

副大臣時代に、すぐにこの問題については取り組みを始めた。

道路の将来交通需要推計がどのような考え方に基づくものなの
かを調べ、そしてさらに空港や鉄道などのいわゆる運輸系の公
共事業評価の根幹をなす交通需要推計が建設系(道路)のそれ
とは異なった考え方に基づいて行われていることの事実を把握
した。

ブラックボックスをこじ開けた瞬間でもある。

すぐさま件の「訓令室」によって大臣官房に「交通需要推計室」
を設置。検討を開始した。ここでの要諦も、旧建・旧運の縦割
りを残さないために人事ポストを室長のみとした点。こうした
目配りは、政治家自らが行わないと必ず骨抜きになっていく。

需要推計については、旧建設省モデルと旧運輸省モデルの統合
形が構築された。
これは画期的なことであり、国土交通行政において歴史的な一
歩であると言える。

さらに、事業評価も徹底的な見直しを図った。
サイクルの短縮化、事業そのものの是非も検証対象とする計画
段階評価の創設、B/Cだけに頼らない公共事業の評価の在り
方として政策目標評価型事業評価の導入など、道路国会で指摘
した懸案を処理していった。

最終の仕上げは、新たな需要推計に基づく新たな事業評価であ
る。

こうした一連の取り組みによって、透明性、客観性、公平性を
もって公共事業が進められることを願っている。

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2011年1月24日 (月)

地元から愛知の週末

 週末は地元に帰り県連定期大会、1区集中街宣、新年会、シ
ビックミーティングに名古屋経由で愛知県知事選挙と盛りだく
さん。

大臣退任直後のタウンミーティングということで県文化会館は
立ち見になるほど。東京からのマスコミも含め取材陣も多数参
加。やはり、政府を離れての発言というのはずいぶんと気分が
変わるものだが、気を付けないとこういう時に落とし穴があっ
たりする。

 愛知県知事選挙は、短い時間の中で街頭2本に宣車、ハコ3
本。相変わらずの使い方やな?、と党本部のS永、O村に言っ
てはみるが、気にしとらんなたぶん。

遅まきながら、統一地方選挙に向けての広報委員会の戦略を組
み立てなければならないが、実際にマイクを握り街に出てみる
とその空気を肌で感じることができる。

必要なイシューは!?、国民の不満や不安の根源は?、と必死
にアンテナを張り巡らせる。

明日から、通常国会。
いよいよ、3月に向けてのゴングが鳴る。

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2011年1月22日 (土)

秘書官人事

 秘書官人事も政治主導の最たるものであった。

大臣秘書官は、大臣就任と同時に大臣官房がその履歴書ととも
に推薦をしてくる。
国交省の場合は、旧建設系と旧運輸系の事務官を一名ずつ。

僕は、大臣就任と同時に官房が準備していた秘書官の名前も聞
かず履歴書も見ず、心から信頼していた副大臣時代の秘書官を
大臣秘書官に据えると言い放った。

官房は慌てふためいた。
大臣秘書官と副大臣秘書官とは年次に差がある。
当然、副大臣秘書官のほうがはるかに若い。

官房にしてみれば、若い大臣秘書官誕生は役所の年功序列の秩
序を乱すことになる。

官房からは必死の説得が続いた。

しかし、僕は一切構わずに秘書官人事を押し通した。
そして、旧運輸系からもということに関しては、副大臣時代か
らその働きぶりを知る優秀な若い官僚を秘書官にを自ら指名し
た。

秘書官の指名と政策審議室の設置による政策官の指名。
この初動における二つの重要な人事こそが、政治主導の要諦だっ
たと改めて思う。

もちろん大臣自身が役所に対していわゆる「土地勘」がない場
合、「これは」と思う人材が思い当たらなければ、役所の推薦
人事を受けることはやぶさかではないと思う。

実際、役所は極めて優秀な人材を示してくれる。
僕も副大臣時代に出会った秘書官とはそれまで面識がなかった
のだけれど、素晴らしい人材であり、だからこそ一年間苦楽を
共にした副大臣秘書官を大臣秘書官に指名した。

要は、大臣の意思で物事を判断していくことが最も重要であり、
そのことそのものが、政治主導なのだ。

幸い、僕は国交省ではスタッフに恵まれた。
通称「中廊下(なかろうか)」と呼ばれる幹部の皆さんとも、
意思疎通を密にして仕事をすることができた。

今後、政治主導の議論については、僕なりの経験で語るべきも
のがあると思っている。

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政治主導の一手法

 国交省も新たな大臣を迎え、始動しだした。
元副大臣、前大臣として、一年四か月間「草鞋を脱いだ」役所
への感謝の想いとともにその間に手がけた施策、あるいは政治
主導については記録として残しておかなければならないと思っ
ている。

一年間の副大臣時代は大臣を支える立場から、マスコミへの発
信は控えてきた。また四か月間の大臣時代は、役所を代表する
立場として行政の継続性を考慮しながら整合性を図り、政府全
体、党との調整も丁寧に行いつつ、施策の実行を図ってきた。
立場上、なかなか、踏み込んで言えないこともあったが、今や
そのような心配はない。

 詳細を記そうとすると膨大になってしまうので、エッセンス
を少しずつ開示していきたいと思っている。

 まずは、政治主導実現のための一方策である「政策審議室」
について。

これは、野党時代からの構想だった。

大臣が、官僚の言いなりにならないように、自らの判断を行う
ためのスタッフ機能の強化は必須だと思っていた。
例えば検討を指示しても、原局原課から上がってくる検討事項
がA案、B案、C案とそれぞれ「誰が見ても認められないもの」、
「中程度のもの」、「理想論過ぎるもの」などの三種類だった
ら自ずとB案に落ち着く。
このB案が官僚の考える落としどころの場合、大臣に選択の余
地はなくなってしまう。

こうした事例を、道路公団民営化議論時に多く目にした。

大臣周りにいわゆる、経営企画室的な組織を持たないといけな
い。それも、できるだけ自前で人員を揃えられるようにしなけ
ればいけない。

 実は、かつて舛添厚労相が大臣政策室というものを作った例
があった。僕は野党時代、この制度を詳細に検証した。おそら
く舛添大臣も僕と同じ問題意識だったと思うのだが、制度設計
で根本的なところを抑えきれなかった。致命的な課題を残した
と言っても良い。大臣政策室の室長を「秘書官」としたことだっ
た。舛添大臣はそこは室長に政務の秘書官を充てていたが、大
臣自らの指示が保ちえない可能性を残した組織だった。

これでは、大臣の意思を明確に反映することが「微妙に」困難
になる。

この問題意識から、政務三役政策審議室の室長は大臣自らとす
る訓令を書いて政権交代前に用意した。

訓令にしたのは、各省設置法や組織編成とすると時間がかかり
すぎるとの判断からだった。
ちなみに、厚労省のそれは「大臣伺い定め」とする訓令手続き
だった。

 役所の課長級職前の若手を、政務三役あるいは大臣自らが一
本釣りで登用し、原局原課からの政策チェック、あるいは大臣
指示を的確に行う政策担当秘書官役を委ねた。

国交省の場合、大臣秘書官は通例、「事務取扱い」として旧建
設省系、旧運輸省系から一名ずつ配置される。
これにより、大臣官房は建設系、運輸系での大臣周りの情報管
理が可能になる。
多岐にわたる大臣業務の円滑な執行のためには、そのこと自体
を否定するものではないが、いかんせん滞りが発生する。

また、秘書官は国会含めて大臣のロジ回りの仕事も膨大にある。
したがって、政策マターを二人の秘書官ですべて行うというの
は負担がかかりすぎる。

こうして政策審議室が設置され、僕は大臣として十名の政策官
を指名し実質の政策担当秘書官として特定のミッションを与え
ることにした。
十名は一テーマにつき、三名のチームに編成した。リーダー、
サブリーダー、補佐として、それぞれがあるテーマではリーダー、
別のテーマではサブリーダーというプロジェクト型編成とした。

 一切の予断を持たずに行うダムの再検証と同時にダム建設の
前提となる基本高水の検討含めた八ツ場ダム問題の対応、無料
化の最終形と財源問題の検討や料金制度の整理、ネットワーク
のあり方の抜本的見直しを含む道路問題、三年間の改革集中期
間に行う空港経営の在り方の検討やオープンスカイ戦略、さら
にはJAL問題といった国民的関心の高いテーマ対応をはじめ、
骨太課題の社会資本整備重点計画の抜本的見直しとその車の両
輪となる交通基本計画を規定する交通基本法の検討、地方の再
生を念頭に置いた建設産業市場の再構築のための戦略的取り組
み、資産デフレ脱却・不動産市場の活性化を目指しての不動産
投資市場のグランドデザイン再構築、建築確認の迅速化・簡素
化を目指した建築基準法の見直しと同時に建築基本法の議論、
観光産業の活性化のための休暇分散化の現実的な対応、温暖化
対策の定量把握のための検討、建設・運輸の公共事業の基本と
なる将来交通需要推計の統合と事業評価の見直しの完遂、など
政策審議室におけるサバキのマターは多岐にわたった。

 審議室を大臣室の隣に設置したのも大きい。
当初は大臣室の壁をぶち抜いて、大部屋にせよと官房長に言っ
たのだがお金がかかりすぎるということであきらめた。
そこで政務官室を空けて審議室を置き常時大臣室のドアから直
接出入り可能、話ができるようにした。

こうした機能強化は、短い間だったが手応え十分だった。

今後、政府として官僚機構との円滑な関係を構築することも含
めて新たな取り組みが求められる。
さまざまな立場で、新たな政治主導への取り組みが試されるで
あろう。

官僚と政治家が、この国のために力を合わせて全力で突き進む
ことを心から願っている。

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2011年1月21日 (金)

選対本部に太腕で

 菅代表を本部長として統一地方自治体選挙対策本部が設置さ
れる。

党役員ということで、事務総長補佐を仰せつかる。
かつて、統一地方選で党本部に選対本部を設置したことはない
が、今回は代表の強い意向を踏まえてのこと。
党勢の挽回、拡大のために党本部が本腰を入れるということの、
メッセージでもある。
あらん限りの力を注ぐ。

 しかし、昨日発売の週刊新潮グラビアは予測だにせん、改造
当日の朝のトレーニング帰りの写真。

いわく「辞任の朝も筋トレ、馬淵澄夫前国交相の太腕」

普段から行ってるんだから、特別のことでもないのに。

きちんと会館で取材にもお答えした。
「何か、胸に去来するものありましたか?」と記者さんからし
つこく聞かれるので、普段と別に変らず「朝起きて歯磨きのよ
うにバーベルを挙げてる」、「ひたすら集中しているだけで頭
の中は真っ白」と繰り返し丁寧に答えたのに「ニベもない」に
なる。

「どれくらいの重量、挙げるんですか?、聞くところによると
45キロ片手でとか?」と聞くもんだから、ベンチプレスやダ
ンベルプレスの説明したら今度は「饒舌になる」とくる。

まぁ、いいけどね。
よれよれTシャツ、スウェットにサンダルと、ちょっとみすぼ
らしい姿で「情けない・・・」(ヒロコ談)んだけど。

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2011年1月20日 (木)

党務開始

 ホッとするのもつかの間、岡田幹事長からの電話は「広報委
員長をお願いします」。

その後すぐに、同期の寺田補佐官が飛んできて「総理と会って
ください」。
呼ばれて官邸に行くと、総理からは30分にわたって「広報の
重要性」と解決すべき課題を説かれる。

 統一地方選に向けて、という緊急課題を第一に掲げての党広
報の実施は総理の強い思いを受けてスタートすることになる。

昨日、役員会と常任幹事会に初めて出席して、党役員としての
職務がスタートした。

まずは、現状の把握と課題の抽出から。
部長はじめとする党職員からヒアリングを行い、前委員長から
も引き継ぎ打合せを深夜まで行う。

週明けには動かせる体制を構築しなければならないし、すでに
動いている緊急課題対応については並行処理を考えるしかない。

統一を照準にということであれば、期限を区切って、自分なり
に整理して動かしていく。

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2011年1月17日 (月)

退庁行事

 国交省と内閣府で大臣の退庁行事。
大臣室で引き継ぎ書への署名、新大臣への交付を行う。

退任の挨拶と、1階ロビーでの花束贈呈で役所に別れを告げる。
花束プレゼンテーターのタマちゃんから、「ターミネーターの
続編待ってます!」と言われ、照れる。
大きな拍手の中での退庁は、一年四か月前の副大臣時代の初登
庁を思い出させるものだった。

議員のみなさんへのご挨拶も今日中に終わり、退任のさまざま
な整理作業は今週中に終わるだろう。
国会事務所の面々にそう話すと、「大臣室から運び出した段ボー
ル!」と、クレームがつく。
ハイハイ、やりますヨ。片付けます。

心と身体のオーバーホールは徐々にやるしかなさそうだ。

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2011年1月15日 (土)

自然エネルギーとの調和

 一年四カ月の全力疾走を終えて、とにかく心と体を解きほぐ
したい...と伝えた。

毎日の激しいトレーニングは、重力に抗しての心身の鍛錬。
しかしながら、当然に関節などのあちこちを痛める。
まさに、自らの身体にレジスタンス「抵抗運動」を課すのだか
ら、究極の人工的な作用。

 一方、大臣職で封印してきたがもう一つ自分にとって欠かせ
ない心身鍛錬が波乗り(サーフィン)。

こちらは、ボディビルディングとは正反対の、まさに自然のパ
ワーとの対峙。

しかし、決して勝とうとしてはいけない。抗しようなど、とん
でもない。
大いなる自然のエネルギーと、対話しながら「調和」に一切を
集中する。

波の大きさ、厚さ、ブレイクの状態、リップの形状、そして何
よりも波のエネルギーを受け入れる心と体の調和。

負荷への抵抗と自然エネルギーとの調和。

ボディビルとサーフィン。
これこそが、バランスを保ち続ける僕の唯一の方法。

 久しぶりに、海へと車を走らせる。

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”I’ll be back!”

 大臣就任後120日目の1月14日、朝9時からの閣議にて
全閣僚からの「辞職願」の取りまとめが行われた。

副大臣として365日、通算485日の政務三役としての職を
終えることになった。

民主党政権発足以降、国土交通省の一員として全力で取り組ん
できた。
共に頑張っていただいた職員のみなさんと、ご支援いただいた
多くの方々に感謝の想いでいっぱいだ。

心から御礼申し上げます。
本当に、ありがとうございました。

 ここで、少し、心と体を開放したい。
オーバーホールも必要のようだ。

記者さんたちからいつも固いといわれていたので、退任会見は、
少し、サービスした。

 しかし、「いつか、担いうる日のために、精進し続けてまい
りたい」の言葉が最も言いたかったこと。

”I’ll be back!”

政府に戻る、来たるべきその時のための精進が始まる。

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2011年1月 5日 (水)

初閣議から役所始動

 朝の閣議から新年の閣僚としての仕事が始まる。
国会および奈良事務所では昨日から仕事始めだったが、閣僚が
閣議で顔を合わせるのは今年初めて。新年の新たな誓いをする。

 そしてこれも今年初めての閣議後の定例記者会見。
社会資本整備重点計画の骨子、交通基本法、八ツ場ダムを含む
再検証及び基本高水の検討、不動産投資市場戦略会議、建設産
業戦略会議、海上警察権のあり方検討の基本方針、高速道路無
料化の7項目についての冒頭発言。

年末までにまとめた方向性について報告する。

 年末にダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)からの招
待状が届いていた。
日本の国土交通大臣が招待されるのは初めてのこと。当然出席
実績もない。

役所では「是非行ってもらいたい」と言ってくれているが、日
程的に無理だろう。国会中だしな。
交通年次会議の「航空・海運業における低炭素化の取り組み」
セッションでのスピーチ。
残念ではある。

 昼には、内閣府特命担当沖縄および北方対策大臣として内閣
府講堂で年頭訓示。
内閣府の大臣は総理以下で9名。
総理と海外出張中の玄葉大臣を除いて7名の大臣からの年頭訓
示が続く。

国会周辺は、まだ静かなものだがそろそろ動き出す。
そして、動き出した瞬間には猛スピードで走り出すことになる。

卯年。
跳躍、飛躍と言われるが、脱兎のごとくではないが猛ダッシュ
が必要になりそうだ。

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2011年1月 1日 (土)

新年祝賀の儀

 新年明けましておめでとうございます。
今年も、「不易流行」の精神で、変わることのない普遍の真理
を追い求めて、変わり続けていく所存です。
どうかよろしくお願いいたします。

 日付けの変わるチョイ前、大晦日の午後11時半から赤坂の
日枝神社に出かけた。事務所のインターンも駆け付けてくれて
みんなで参道に並び、午前0時と共に「明けましておめでとう
ございます」のあいさつ。

列に従って、本殿で参拝しお神酒と甘酒をいただいて、初詣を
終える。

 昨日の大晦日は、20時から総理公邸で五大臣会合があり、
ホントに年末ギリギリまで仕事だった。
ある意味、普段通りのペースで過ごすということ。
だから、元旦も普段通りで過ごそうと、7時からジムでトレー
ニング。

戻って宿舎で燕尾服に着替えて、宮中へ。
新年祝賀の儀で天皇、皇后両陛下に拝謁。

 新しい年を迎えるにあたって、厳かな雰囲気の中、陛下から
「総理大臣並びに内閣のみなさんが」とわれわれ全員に直々に
お言葉をいただいた。
光栄の至り。
閣僚以下、内閣認証官の面々は、思いを新たにした。

閣僚出席の宮中行事は数々あれど、ドレスコードに「燕尾服」
とあるのは新年祝賀の儀くらいか?。

「モーニングコートも可」となっているので、多くの方はモー
ニングだが、今回は燕尾服を用意した。
モーニングはそれなりに着用の機会は多いが、燕尾服の出番は
普段めったにない。

新嘗祭の時の、シルクハットもそうだったが一般の生活と離れ
た装いということに、より緊張感が高まるということもあると
思う。

ヒロコからは、シルクハットの時は「ハトが出てくるの?」と
笑われ、今回の燕尾服では「お笑いの人みたい」と言われた。
・・・ジャニーズには、見えんか...。

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