2012年5月18日 (金)

バックエンドからエネルギー経済へ  

 昨年10月議連として立ち上げた「原子力バックエンド問題勉
強会」は、今年2月に使用済み核燃料の再処理を含むバックエ
ンド問題について提言を打ち出し、官房長官並びに関係4大臣
そして政調会長へと提出してきた。さらに、これら提言を受け
て党政調のエネルギーPTに「使用済み核燃料等に関する検討小
委員会」が設置され、バックエンド問題は党の政策部門に正式
に議論の場を移すことになった。

党政調の検討小委員会でも僕は役員として加わり、そのとりま
とめに取り組んでいるところだが、一方の議連である「原子力
バックエンド問題勉強会」については、これからさらに発展的
にエネルギー問題を、経済・環境の切り口から研究する場へと
改組しようという議論にあいなった。

 そこで、従来の「原子力バックエンド問題勉強会」を改め、
「原子力バックエンド・環境・エネルギー経済研究会」
Research Institute for Nuclear Backend, Environment,
Demand for Energy and Economy(略称:BE3研)」とした。

 今後、この研究会をエネルギー経済、並びに環境含む産業及
び核不拡散・原子力政策等々、幅広く議論をしていく場とした
い。もちろん、引き続きバックエンドからの原発問題について
は最大限注力していくことは言うまでもない。

更に、日程を区切っての研究会提言を出す、ということよりも
むしろ適宜研究会での講演やメンバーの皆さんにおける討議を
まとめて「ディスカッションペーパー」としてホームページに
掲載していきたいと思う。議論、討論や論文含めて発表の場に
もしていきたい。

今日は、坪郷早稲田大学教授よりドイツのエネルギー政策につ
いてご教授いただいた。非常に興味深く聞かせていただいた。
詳細は、これもBE3研のHPに掲載していくのでまたご覧いただ
きたいと思う。

バックエンドからエネルギー経済へシフト!

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2012年5月16日 (水)

40年の喜びと苦悩

 沖縄復帰40周年記念式典に出席のため、日帰りで沖縄へ。
40年前と言えば、当時僕は11歳の小学六年生。
5月15日の午前0時に復帰となった当日の報道ぶりが、何やら大
変な騒ぎだったのを覚えている。
自動車の左側への通行車線変更は、その6年後の7月30日だった
がその時の映像と混同しているのかもしれないが...。
でも、まだ子どもだった僕は、沖縄の人々が喜んでいる姿を見
て、とっても「良いこと」が起きていると、おぼろげながらに
思っていた(ような気がする...)。

 しかし、当時の沖縄はそのような喜びにあふれていたばかり
ではない。米軍基地の存続、県民の主権の制限などまだまだ解
決しなければならない課題が山積みのままだった。
だから、返還に対して、大いなる怒りをもって本土復帰のその
日に多くの市民が抗議の意思を表明していたことを後々に知る
ことになる。

占領から解放されたとされながらも、実質的な占領下にあるこ
とが続くことを沖縄県民の皆さんは直感してきたのだろう。

地位協定の見直しが図られない限り、何一つ本質的な問題の解
決にならないことを最もよくわかっていたからこその、復帰の
喜びをかき消すかのような抗議集会だったのだろう。

しかし、一方で累次の特措法制定などの振興施策によって着実
に沖縄の環境は変わってきたのも事実である。
ただし、本質の課題は置き去りにされたまま。

 そんな、苦しみの中での一つの区切りの40周年に際して、元
沖縄開発庁長官の上原康助氏の式典でのあいさつは、厳しいも
のであった。
もちろん、上原氏は冒頭にこのような祝いの席でふさわしくな
いかもしれない自分の挨拶について、一言断りを入れていた。
そして、単に40周年の喜びで語られるだけではない、沖縄の歴
史を語られたのだと思う。

本土復帰後も、いまだもって解決していない「占領下」を、ど
うやって解決していくのか、という大きな課題を政府に突き付
けるものだった。そして、それは来賓出席していただいていた
米国ルース大使並びに野田総理の日米両国を代表するお二人に
向けられていたのは言うまでもない。さらに言えば、今日まで
の長きにわたって政権を運営してきた自民党に対してでもあっ
た。

 僕は、大臣時代、尖閣問題で政治的な責任を背負うことになっ
た。沖縄には特別の想いが今もある。
そして、沖縄問題のことの大きさと深さは、単に領海を形成す
る島嶼ということだけでなく、王朝の時代からその時々の強国
の政権に翻弄され続けてきた歴史ではないかと言うことに想い
をいたす。
だからこそ、沖縄県民の気持ちに寄り添うことなく課題は解決
しないと痛感した。

 残念ながら日程の関係で、記念式典とレセプション出席で帰
らなければならないが、また、あらためてじっくりと時間を取っ
て訪れたい。

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2012年5月10日 (木)

会期末に向けて攻防始まる

 連休前からワシントンに行き、そしてGW突入後は鹿児島をは
じめとする地方日程。漸くホッとしたのは後半に入ってからだっ
た。
久しぶりに体を休めることもでき、やはりいくらなんでも機械
じゃないんだから、休息は必要だなぁと改めて実感したところ。

 そして連休明けの国会は、来週から始まる消費増税議論の国
会審議舞台である社会保障・一体改革特別委に向けての本会議
が続く。
与野党修正協議も含めて、会期末の6月21日に向けての攻防が
始まる。

しかし、自民党もさすがに10%消費税をマニフェストに掲げて
いる以上、反対はできないだろうとの見方が大勢だ。
もちろん、だからと言って国会対策は丁寧さを忘れては前には
進まない。微妙なかじ取りが求められる。

 また、国際社会情勢も混沌としてきた。
ワシントンでも感じたが、オバマ政権の隘路は本来の支持層で
あると言われるスパニックやラテン、黒人や低所得者層と称さ
れる国民からの支持が離れだしている。
本来は、オバマ大統領が当選後こうした支持層の生活を安定さ
せるためにと取り組んだ医療保険制度改革が、ねじれ国会で滞
り、結果的に必要な経済政策がおざなりになり、景気の悪化、
失業率の高騰、高止まりとなったことが逆に支持層を直撃する
ことになったのが不人気の原因でもある。
もちろん、共和党ロムニー候補の爆発力の無さも指摘されると
ころでもあり、向こう半年の経済の状況が帰趨を握ることにな
る。

 社会保障の強化を目指したことが結果的に景気の悪化を招き
支持層が離れだし政権の安定をゆるがせにしている、という実
態は我が国にも当てはまる可能性がある。
フランスのサルコジ大統領も緊縮財政並びに強権的な手法と経
済政策の失敗、ギリシャにおける与党敗退も財政再建路線への
不満、と世界中での負の再分配に対する不満が高まる中で、政
治の役割はより重く、そしてその運営はより困難になっている。

 野田政権並びに民主党の正念場が訪れようとしている。

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2012年4月21日 (土)

熊本からワシントンへ、セーフ!

 今日は朝から東京を出て、福嶋健一郎代議士の地元、熊本2
区での国政報告会2件に現地視察、夜の懇親会と熊本での活動。

朝の飛行機は、熊本空港着陸寸前に滑走路まであと数メートル?、
ま、数十メートルだったかもしれないが、突然ジェット噴射、
急上昇で機体グラグラ、けたたましい金属音。うわ、なにこれ?!、
どーなんの!?くらい思った。
再度旋回しながらの着陸トライで無事なんとかOK!という、
いわゆる悪天候での熊本入りだった。

降り立ってみると、地上は至って平穏で上空でのあの気流はな
んだったんだろうという感じ。

気分を変えて熊本での昼食は、福嶋代議士が熊本一おいしいと
お奨めの、大雅ラーメン。一滴残らずスープまで飲み干して元
気出す。
http://r.tabelog.com/kumamoto/A4301/A430101/43000885/

 二つの国政報告会、視察、夜の懇親会と当選以来ぶれない姿
勢の福嶋代議士をどうかしっかりと応援お願いします!と訴え
て、残念ながら日帰りで羽田に向かう。

 明日は11時過ぎの便でワシントン行だ。
日米両国の議会が唯一認める公式の両国議員会議である
「日本・米国議員会議」に出席のため明日から木曜日まで渡米。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/kokusai_kankei/kaigi/usa/pdf/h24hakengaiyo.pdf

仙谷由人議員団長を筆頭に衆参両院並びに与野党議員12名の議
員団による国会派遣だ。

急な要請だったため、事前に入っていた予定をかなり無理言っ
て変更しての準備だった。

 ところが、熊本空港に着くと羽田行最終便が天候不良のため
欠航!。
熊本発の新幹線にはもはや間に合わない。どうあっても、こりゃ
明日のワシントン行は乗り遅れるかもしれない...と思って
いたところに、他社便が到着。裏書きして急きょ、そちらへ搭
乗手続き。
やれやれ、明日のワシントン行は間に合う。

朝からの悪天候は、結局夜まで続いたということか。
幸い、福嶋代議士の国政報告会や視察の最中は地上は穏やかな
天気で、来場者はじめ参加者の皆さんにはよかった。

しかし、ここんとこ平気だったけど、久しぶりに、「飛行機コ
ワイ」がよみがえってきてしまった。

明日もチョット、憂鬱。

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火山噴火の危険性

 首都中枢機能バックアップWTでは中間報告を3月に行ったと
ころであるが、引き続き首都中枢機能の危機管理について検討
を進めている。

3月の中間報告は、想定される東京湾北部地震のリスク認識に
基づいてバックアップ体制について取りまとめたもの。現状の
危機管理センターの不備や首都直下型に対する代替性の不十分
さを指摘し行政上の対策として現地対策本部に指定されている
大阪をはじめとする地域の強化を求めた。
しかし、この報告の前提となっているものも主に首都直下型地
震である。
そこに加えて、新たに火山の噴火に対するリスク検討も深める。

火山の噴火というと、「富士山大噴火」などの「予言」っぽい
話に聞こえて、たちまち「トンデモ系の話」に間違われそうだ
が、そうではない。
実は僕自身、富士山はじめとする大噴火をリスク前提に置く、
という発想については当初は、「???」だった。
しかし、今回WTで、内閣府の火山情報等に対応した火山防災対
策検討会副座長を務めてこられ平成22年に防災功労者内閣総理
大臣表彰を受賞された藤井敏嗣(ふじいとしつぐ)東京大学名誉
教授に、火山噴火と地震の関係についてお話を伺う機会を得て、
考えが一変した。

 火山の噴火の定義は、「地下にある高温(1000℃前後)のマグ
マが地表に接近、あるいは噴出すること」である。そしてのこ
のマグマの粘性(つまりネバネバ具合、流れ出る速度にも関わ
る)は10億倍も変化するものだ。ドロッとでるものから、水の
ごとく流れるものまでまちまちなのだ。
そして、噴火の前兆現象は必ずあるのだが、その時間スケール
は数時間から数日まで幅がある。従って、「○○の予言」のよ
うに○月○日に噴火ということは予知し得ないが、今は何事も
なくても一年後に大噴火ということも十分ありうる。

 しかも、いわゆる危険とされる活火山の定義は「最近1万年
間に噴火活動があったもので現在も活発な噴気活動があるもの」
だ。1万年前に噴火したものまで含めるとなると、相当数に上
ると思われるが、全世界の総数は約1500。我が国にはその7%
にあたる110の活火山があるのだから、やはり火山大国でもあ
る。
 そのうち、首都圏に影響する火山は、箱根山と浅間山と富士
山である。箱根は6万5千年前に大噴火があり3千年まえの噴火
で芦ノ湖ができた。浅間山は1783年の天明噴火と1108年の天仁
噴火が大噴火であるが、09年2月2日には小噴火があり東京に降
灰が観測されている。

 そして、富士山であるが、これは当然日本一高い山である。
言い換えれば日本一大きい活火山であり最もマグマの噴出率が
高い火山である。そしてこの富士山の噴火は非常に不規則であ
りかつ噴火の形態は多様だ。数十年おきに噴火していた時代も
あれば数百年静穏だった時代もある。爆発的な噴火もあれば、
割れ目からの溶岩噴泉もあれば溶岩流、火砕流など麓を埋め尽
くすながれや、山体崩壊など山が崩れ土石流、泥流となる最も
危険な噴火もあった。

まさに富士山は噴火のデパートだ。

 そして、当然ながら富士山の大噴火は首都圏に壊滅的なダメー
ジを与える可能性が高い。一つは火山灰の降下。噴出全量は十
数億立米とされ23区内で数千万立米とも言われる。当然ながら
道路、鉄道はストップする。最も厄介なのは火山灰は帯電して
おり宙を舞うと電波障害が発生し航空機の飛来は不可能になる。
つまり流通経済の破たんが予想されるのだ。

 世界中ではM9.0規模地震の発生後数年以内に火山噴火が誘発
されている。直近でも2010年のチリ地震の後1年3か月後に噴火
が起きている。今後我が国では、この噴火の危険を十分考えて
おかなければならない。そして歴史的にみても2千年から1万数
千年とされる巨大噴火の繰り返し周期に照らし合わせても、日
本では7300年前の鬼界カルデラ以来巨大噴火はない。かつて、
文明を遮断したとされる巨大噴火の可能性までも十分にある我
が国においては、今後さらなるリスクを考える必要があること
は間違いない。

 最後に、藤井先生に別途取り組んでいる使用済み核燃料
はじめとする高レベル放射性廃棄物の最終処分方法とされてい
る地層処分について訊ねた。1万年の保管などを考えられる地
層が我が国に存在するのか?と。

藤井先生は、ハッキリ、すっぱりと、我が国にそのような場所
は考えられない!、と仰った。

やっぱりね...。

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