2016年9月25日 (日)

特措法ではいけない生前退位

 21日の両院議員総会で選挙対策委員長に就任した。
1年8ヶ月ぶりの党本部の選対委員長だ。
下野して以来3年9ヶ月のうちの3年5ヶ月間、幹事長代理、幹事
長代行、選対委員長、筆頭副幹事長、特命副幹事長として一貫
して選挙対策実務に取り組んできたので、いついかなる場合で
も、担う覚悟はできている。
 次の国政選挙は、年明け早々の解散総選挙と想定しているの
で、あらためて、全身全霊で取り組む所存である。
 さて、明日から臨時国会が始まる。
論点は補正予算やTPPなど様々だが、その一つに、天皇陛下の
生前退位が挙げられる。
去る8月8日、「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおこ
とば」が発された。そして、そこに「殯(もがり)」に関し、陛
下から、以下のようなお気持ちの表明があった。
 
「天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これま
でにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々
な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしき
たりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯の行事が連日ほ
ぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀に関連する行事が,1年間
続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に
進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族
は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事
態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来
することもあります。」
 
 殯(もがり)とは、天皇が崩御したとき、天皇霊を新帝に引継
ぐために、霊・肉を分離し、魂を浄化することにある。
 なぜ、このタイミングで陛下が「殯」を持ち出しこのような
思いを述べられたのか?
 2013年、宮内庁は天皇・皇后両陛下の葬儀やお墓の在り方を
大きく変更すると異例の発表をした際、火葬を望まれるという
両陛下の当時の思いを示した。このことと、併せて8月8
日の「殯」への言及を考える必要があると思っている。
 
 それは、日本の天皇位の根拠が古代における即位・大嘗祭
(だいじょうさい)の特殊な構造にあることを理解しなければな
らないからである。そこには天皇の死を契機とする殯、即ち遺
体の腐敗が死の穢れと連動することにより、新しい天皇の誕生
に影響を及ぼしていた過去があるからだ。
 
 そのヒントは天武・持統朝と呼ばれる時代にある。
壬申の乱の後、日本の統治機構、宗教、歴史、文化の原型が作
られたと言われる時代で、天皇を称号とし日本を国号としたの
もこのとき。
古事記、日本書紀の「記紀」には、「神話」的叙述の段階から
「大嘗」や「新嘗(にいなめ)」の語が登場するが、これらが明
確に区別されて使われるようになったのも、天武以降であった。
 
 「折口信夫は昭和3年に発表した『大嘗祭の本義』のなかで、
大嘗祭儀のうちに鎮魂祭と天皇の死=再生の儀礼が織り込まれ
ていることを論じた。禁中に仮設される悠紀(ゆき)・主基
(すき)の両殿に天皇の寝所がつくられ、茵(しとね)と衾
(ふすま)が用意される。これは日嗣の皇子となる後継者がそ
の資格を完成するために、寝所に引き籠って物忌みの生活に入
るためのものである。そして『日本書紀』の天孫降臨の場面で、
ニニギノミコトのからだを覆っていた『真床襲衾(まどこおう
ふすま)』がちょうどこの大嘗祭における寝所の茵と衾にあた
るのだという。その真床襲衾を取り除いて起き上がるとき、ヒ
ツギノミコははじめて完全な天子となると信じられていた。こ
のとき先帝の『魂』が新しい天子のからだに入って、その永遠
の生命の活動をはじめるというのである。折口がここで強調し
ているのは、天皇の肉体は一代ごとに変わっていくけれども、
その肉体から肉体へと継承される『魂』は不変だということで
ある。かれはその『魂』を永遠の『天皇霊』と同一視した。そ
して第二に、血統上ではもとよりそこに『皇位』の継承が考え
られているが、しかし信仰上からは不変の魂(天皇霊)の継承
のみが想定されているのだという。天皇の魂の不変性を儀礼的
に保証するものが、毎年くり返しおこなわれる復活鎮魂の祭り
としての新嘗祭であり、代替わりのときにおこなわれる大嘗祭
なのである。」(山折哲雄「死の民俗学」より)
 
 このように天皇の皇位継承は、即位礼に続く大嘗祭によって
完結する。
これは英国など他の立憲君主国の場合と根本的に異なっており、
それは「血」が繋がっていることもさることながら、永遠不変
の「天皇霊」を先帝のからだから継承することこそが大嘗祭の
本質だからである。
 「血」の原理では、それが初代のカリスマ性を保証するもの
ではあるが、しかし、代を重ねるごとの血の濃度の減少はカリ
スマ性の濃度が希薄化することに繋がる。つまり、日本の皇位
継承には、「天皇霊」の原理がより強くはたらいているのであ
る。
 霊の原理は継受の過程でその濃度をいささかも減ずることが
なく、血の原理と比べて相対的にその安定性は高い。
だから、大嘗祭が重要な儀礼なのである。
しかし、それは歴代の天皇が継承してきた天皇霊を新しい天皇
がみずからの身体に受け入れることであるから、先帝の遺体の
処理が滞りなく終了した後、すなわちその遺体から天皇霊を完
全に分離させた後でないと行えない。つまり、先帝の葬送儀礼
は何よりも遺体と魂をいかに分離するかということが課題となっ
ていたのである。
 
 例えば、天武天皇崩御にあたっては、2年2か月の殯が行われ、
持統天皇による大嘗祭は先帝崩御の約5年後となり、その間の
祀りごとは停滞し、皇位継承、ひいては社会の秩序安定も損ね
ることになる。
そこで持統天皇は自らの葬儀にあたっては、火葬によって穢れ
を浄化できる仏式による葬儀を採用することになる。
 これにより、殯の期間が持統1年、次の文武5か月、更に元
明天皇では一週間になり、先帝の鎮魂、滞りなき皇位継承、そ
して社会の秩序安定が極めて短期間に達成できるようになった。
別の言い方をすれば、宮殿の外部に仏殿が建てられ仏教との分
業体制が整ったことにより、葬儀と天皇霊の継承といった浄穢
(じょうえ)の分離を可能にする仕組みができあがったのである。
 以後、孝明天皇まで1200年間、天皇の葬儀に仏教が関与する
こととなった。京都の泉涌寺は皇室の菩提寺で「御寺(みてら)」
と呼ばれ、月輪陵(つきのわみさぎ)と呼ばれる陵墓には、四
条天皇をはじめ後水尾天皇から仁孝天皇までの25陵、5灰塚、9
墓が営まれている。天智天皇から(南北両朝の天皇も含む)歴
代天皇皇后の53の尊牌(位牌)もこの寺に安置されている。
(ちなみに、1654年の後光明天皇からは儀礼的火葬の後に土葬
となる。)
 
 更には、先帝の「死」を契機とする皇位継承は、当然のこと
ながら遺体の処理と皇位継承という有事に対応せざるを得ない
ことになる。
そこで皇位継承の場面から死穢(しえ)の排除ということを突
き詰めていくと、「死」を契機とする皇位継承から「譲位」を
契機とする皇位継承のほうがが、より安定した皇位の継承であ
ると論理的には帰結していくことになる。
 そうであるからこそ、持統天皇自身は生前に譲位し、そのま
ま大嘗祭で孫である文武天皇へ穢れなき霊の継承を行ったと思
われる。そして元明天皇が平城京に遷都した以降、元正、聖武、
孝謙へと譲位が恒常化していった。
 
 このように皇統の中断なき継受を実現するため、(1)仏教と
の連携により天皇の死を外部化し、(2)譲位を恒常化するとい
う、二重の防護壁を設けることで、先帝の死とは関係ない時空
間で穢れなき大嘗祭が行うことができるようになった。もはや、
殯の長期化に対する否定的な感覚は、この天武から聖武の時代
に変更のきかない方針として定着しつつあった。
 
 ところが、慶応4年・明治元年(1968年)、明治政府は一連
の神仏分離令を発し神仏習合を禁止し、明治天皇を現人神とす
る国家神道を国教化する方針に踏み切る。
同時に天皇が崩御された際の皇霊祭儀に関しても、1200年間続
いていた仏式葬を止め、神式の「殯(もがり)」が復活した。
つまり、持統天皇以来、皇位が安定的に継承されていく為の仕
組みが一気に壊され、復古という名のもとに不安定だった天武
以前の時代に逆戻りさせられたのである。
 
 更には、天皇の葬儀とは直接関係ないものの、明治39年
(1906年)に施行された1町村1社を原則とする神社合祀令は、
「八百万の神々」に壊滅的なまでのダメージを与えた。
 明治政府は記紀神話や延喜式神名帳に名のあるもの以外の神
々を排滅することによって国家神道の純化を狙った。
 全国で20万社あった神社のうち7万社が取り壊され、土地の
神様(産土の神)の抹殺により、地域の歴史も分からなくなっ
た地域もあるという。
特に熊野信仰などは、古来の自然崇拝に仏教や修験道などが混
交して成り立ったある意味「何でもあり」の宗教で、合祀の対
象となりやすかった。三重県、和歌山県他3県の神社減少率は9
割と言われる。
 3年前に「火葬」を望まれた両陛下の思いと、今回の「生前
退位」、そして「重い殯」の行事をまるで忌避されるようなお
言葉を併せて考えるに、それは持統天皇らのとった安定的な皇
位継承に逆向する明治の「一連の宗教改革」に不快感を表明す
るもので、ひいては安倍政権が押し進めようとする憲法改正に
象徴される、力による覇権、謂わば「明治レジーム」への激し
い抵抗を「重い殯」という言葉に思いを込めて、ギリギリの球
を投げ込んだのではないかと考えられる。
 生前退位が、この臨時国会で陛下の健康をおもんばかってと
の建前で、「特措法」として処理されかねない状況である。
 上述した我が国の皇統にまつわる歴史を鑑みれば、まさに、
安倍政権が推し進めようとするわずか70余年の歴史でしかない
現行憲法の改正、あるいは明治維新を是としての覇権主義国家
への猛進を、陛下の重い「おことば」によって、我々は熟思黙
想して正道へと導いていかなければならないと、強く感じるの
である。
参考文献:山折哲雄「死の民俗学」

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2016年8月25日 (木)

改憲議論の前に考えるべきこと

来週、代表選が告示となる。
無投票にはならないとは思うが、一方でその争点がどうなるの
かというのも重要だ。
考えらえる争点としては、野党共闘のあり方、戦う組織への変
革、さらに憲法改正議論へのスタンス、など様々だ。
前の二つは党内マネジメントの話であり内向きの話だが、憲法
に関しては違う。
憲法については、政府の改憲論議に引きずられて、「改憲是か?
非か?」、「憲法草案作成是か?非か?」などの議論に陥りが
ちだが、それ以前に、我が国に通底する社会的な価値観、規範
を考えたときに、「憲法」とはなんぞやとの極めてプリミティ
ブな考察が必要ではないのか?、との強い問題意識を私は持っ
ている。
そもそも、憲法は、革命の産物だ。
欧米諸国において、王政などの封建国家から民主革命を経て、
衆議を決する仕組みすなわち議会制民主国家へと変わりゆく過
程で、権力を抑制する仕組みとして必要とされてきた規範が憲
法だった。
まさに、歴史の分断、統治の非連続を補うものとして必要とさ
れた根本規範である。国家を「人工国家」と「自然国家」に分
類するならば、このような意味での憲法は「人工国家」をつく
る仕組みの一部として位置づけられてきたと言える。
こうした、「人工国家」としての仕組みとしての憲法を否定す
るものではないし、フランス革命やアメリカの独立戦争など民
主化の流れにおいて憲法や独立宣言が必要不可欠であったこと
は理解できる。
しかし、立憲主義が「憲法」のみを主権の体現とする考えと捉
まえることには違和感がある。イギリスでは、王権を存続した
ままに伝統的価値観、慣習法などから「不成文」の憲法規範・
体系を構築した。
議会決議や裁判所の判例、国際条約、慣習等のなかの国家の性
格を規定するものの集合体を憲法とみなしたのである。
そこでは、「憲法」以前に、国家と国民に根付く価値観や規範
が最重要の意味をもつ。
長い歴史の歩みや目に見えぬ価値を守り、「自然国家」として
の成り立ちを持つ我が国でも、こうした不文の価値観を憲法
(規範)として位置づけるべきだったのではないか。
しかし、残念ながら我が国の革命と位置付けられるであろう明
治維新の際、明治政府はプロイセンの欽定憲法を採用した。
ドイツは、プロイセンによる近代国家としての統一は19世紀ま
で無いが、中世ドイツは神聖ローマ帝国として形式上は統一さ
れた帝国でもあった。
神聖ローマ帝国がドイツ第一帝国、プロイセンによる統一ドイ
ツが第二帝国、ヒトラーによるドイツが第三帝国とされている。
そんな中でのプロイセン憲法がフランスの1848年革命の影響を
受けた産物であることは事実だが、ドイツ統一は市民革命によ
るものではなく、ビスマルクによる上からの統一であり、議会
制と国王大権が併存する体系となった。
同じく薩長による上からの「革命」を経た日本が参考として、
天皇大権と議会制を共存させようとすることに合致したのであっ
た。
憲法は「革命」の産物であり、人工的な「国家」を創り出すも
のである。従って、憲法改正によってその都度新たな人工「国
家」を作り出していくことには限界がある。
現行憲法改正という「革命」に短絡的に走るのではなく、国家
を語る上では、むしろ自然発生的に受け継がれた歴史的規範を
重視しその上で現行憲法をどのように捉えていくべきか考えて
いく必要がある、というのが、私が今最も関心を持つ事柄なの
だ。
2千数百年に及ぶ、我が国の歴史の中で連綿と継がれてきた、
「共生」の概念や、「調和」と「順応」、さらに「言挙げせぬ
国」としての価値の伝承などであり、それこそ神武天皇の建国
の詔から始まり、十七条憲法、律令制、さらには武家社会にお
ける数々の統治制度などによって、世界に冠たる精神国家とし
ての礎が築かれてきた。
これらを国民が広く理解し、現代においても知らず知らずの間
に我々に内在するこれら不文の規範・概念が、現行憲法を内包
する価値観として国民の中にあるということを、再度検証すべ
きではないかと考える。
過去との連続性と継承の上に、未来を創っていく。
その立場に立てば、矮小化された憲法改正論議からは一歩離れ
て、国家としての「国体」を共有する論議へと昇華させていく
ことができると、信ずる。
改憲論議では、改憲か護憲か、どの条文をいじるのかといった
テクニカルな議論に陥りがちだが、「形式」ではなく、守られ
るべき価値・規範は何かという「実質」に着目した本質的な議
論こそが必要である。ぜひ、こうした骨太の議論を、憲法議論
の中で行っていきたいと思う。

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2016年8月 9日 (火)

陛下のおことば

 天皇陛下が象徴としてのお務めについておことばを述べられ
た。
 陛下は、おことばの中で、「国民を思い、国民のために祈る」
という天皇としての大切な務めを、国民への「深い信頼と敬愛」
をもってなし得たことの喜びを語られているが、これこそ、ま
さに象徴天皇のあり方の真髄ではないか。
 即位以来、常に象徴天皇としてのあり方を模索し実践されて
きた陛下のおことばは、深く、重い。
 そしてわれわれ国民は、陛下が国民に問いかけられた、象徴
天皇としてのあり方について、重く受け止め、考えなければな
らない。
 憲法に規定される天皇の国事行為はそれぞれが重要なもので
あり、遂行には多大なご負担をおかけすることになる。
 国民は陛下を慕い、可能であれば引き続き天皇の地位にあり
続けて頂きたいと思っている。陛下の国民への愛情に溢れたお
ことばを聞き、その思いをより強くしたのは私だけではないだ
ろう。
 しかし一方、「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至っ
た場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の
暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます」との陛下の
問いかけに対し、我々は真摯に向き合わなければならない。
 まずは国民一人一人が陛下のおことばをしっかり受け止め、
与野党や政治信条の別なく、改めて象徴天皇のあり方に向き合
うことが問われている。
安倍総理は「重く受け止める」、「しっかり考えていかなけれ
ばならない」と述べているが、政府内の議論のみならず、国民
的議論を提起していく必要がある。
 その中で、仮に陛下の問いかけに対する一つの議論として、
天皇の生前退位を検討するのであれば、皇室典範のみならず、
象徴天皇のあり方を規定した憲法との整合性も含めた様々な角
度からの議論が不可避となる。
 例えば、憲法第2条は、皇位は世襲であって、皇室典範の定
めるところにより継承すると規定しており、生前退位は皇室典
範改正で対処可能なようにも見える。
しかし一方で、憲法第5条では摂政を置いて天皇の国事行為を
代行させることもできることが規定されており、皇室典範上も、
陛下が重患な病気などで国事行為が行えない場合は摂政が置け
ることになっている。
そのため、摂政を置けることと、生前退位との間で憲法上の整
合性をどう考えるかという議論もある。
 陛下のおことばでは、憲法第5条に規定される摂政を置く場
合でも、天皇が生涯天皇であり続けることに変わりはないとさ
れ、代行の限界をご指摘されている。
陛下のこうしたお気持ちを踏まえ、憲法との整合性や立法上の
諸課題に、制度を預かる政府及び国会は、知恵を絞り真剣に取
り組まなければならない。
 そして、何よりも陛下が念じられるように、「象徴天皇の務
めが常に途切れることなく、安定的に続いていくこと」を第一
に考えなければならない。
 例えば、上皇による院政が行なわれていた時代では、生前退
位が政治的に利用されることがあった。時代背景は全く異なる
が、天皇の生前退位を利用して、時の権力者により天皇の地位
が影響を受けるようなことが生じてはならない。
生前退位を検討する場合でも、例えばご高齢、ご病気など退位
要件を明確にして、譲位への恣意的な干渉を防止するようなこ
とが必要になるのではないか。
 これは議論の単なる一例であるが、陛下のおことばの重さと、
可能であれば引き続き陛下に象徴であってほしいとの国民の思
いを受け止めつつ、国民の代表たる国会議員として、責任を持っ
て慎重にかつ真摯に議論を積み重ねて行きたい。

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2016年7月25日 (月)

凍土壁ギブアップ宣言

 とうとう。というか、やっぱりな...。
東京電力は7月19日、原子力規制委員会の有識者会合で、今年3
月31日に凍結が開始されていた福島第一原発の凍土遮水壁につ
いて、完全に凍結させることは難しいとの見解を示した。
 凍土遮水壁とは、凍結管を打ち込んで地中を凍らせることで、
原子炉建屋への地下水の流入を遮断しようとするもの。
東電は凍結開始前の計画において、「遮水壁の閉合の進め方」
として、段階を3段階に分け、最終段階である第3段階において、
「完全閉合する段階」としていた。
つまりは、原子炉建屋の周囲を凍土遮水壁で完全にブロックし、
地下水流入を止める計画だったはずだ。
 しかし、5月下旬には、凍結開始から1カ月半以上経過して
も土壌の温度が下がりきらず、計測地点の約1割で凍っていな
いとみられることが判明した。
東電は、特に温度が高い場所は今後も凍らない可能性が高いと
して、原子力規制委員会に追加工事をする方針を伝え、凍りき
らずに壁に穴が開いたようになっている部分を、セメントを流
し込むなどしてふさぐ追加工事を行っていた。
 このような泥縄の手立ての中で、7月19日の会合で、規制委
員会に凍土遮水壁について問われた東電は、「100%凍らせる、
100%水が通らない状況を作れるかというと、技術的にそんなこ
とを考えているわけではなくて、我々は凍土壁を作ることで流
入量の抑制を目的にしています」、「完全に閉合することは考
えていない」と説明しだした。
東電側の言い分としては、地下水の流入量を減らすという目的
自体に変更はないということなのであろう。
しかし、これでは、「当初完全閉合を目指していたが、思い通
りに凍結が進展せず、追加工事の結果もおもわしくなくて、最
終的に完全凍結を諦めざるを得なかった」と受け止められるの
は当然だ。
 そして私がかねてより指摘してきたことだが、凍土壁の遮水
効果そのものにも、さらに疑問符がついている。
もともと、建屋内には一日400トンもの地下水が流入している
と見られていたが、東電によると、凍結開始後の第一原発海側
の一日当たりの地下水くみ上げ量は、5月が352トンに対し、6
月が平均321トンで、減ってはいるものの、凍土壁の十分な効
果は確認できていない。
原子力規制委員会の検討会も、凍土壁の効果がいまだ見られな
いとして、東電に高濃度汚染水処理のタンク保管などの別の対
策の検討を要請している。
規制委員会側も、凍土壁の効果はもやは信用していないと言っ
て良いだろう。
 私は凍土壁構想が始まった時点から、土木技術者の立場とし
てその実効性に疑問を持ち、国会質疑でも何回も取り上げてき
た。
地下水はとどまっておらず、流れている。
凍土工法は、掘削時の土の崩落を防ぐための工法で、完全止水
が目的ではない。このような凍土工法が、今回の地下水の汚染
対策に使われようとしていることに対して、私は本当に大丈夫
なのかと繰り返し政府に問いただしてきたのだ。さらに、凍土
遮水壁が選ばれた理由の一つは、埋設物に物理的な変形や撤去
等の措置を行う必要がなく、破損等で汚染水流出が発生しない
施工方式だったことによるのだが、実際の工事では、凍結管を
地中の埋設物に貫通させる貫通施工が採られた。このような施
工が十分効果を上げたかは疑問である。結果として、当初から
の私の指摘通り、凍土壁構想は失敗に終わりつつあるというの
が現状だ。
 凍土壁工事には、すでに350億円もの費用が費やされている。
しかも今後凍土壁を維持するためには、電気代だけで年間20億
円が必要との試算もある。汚染水問題は依然として緊急の国家
的課題であり、費用対効果が小さく、実効性が乏しいと判断さ
れれば、即座に対応策の方針転換を図るべき。
規制委員会検討会において、外部専門家も、「完全に止水可能
な既往技術によるコンクリート等連続遮水壁の計画を進めるべ
き」とコメントしてきた。
もう、ギブアップ。責任の所在を明らかにし、その上で在来工
法にいち早く切り替えるしかない。
そして、このような事態に陥った責任の所在は、東電のみなら
ず、実施に踏み切った2013年当時の経産大臣にも当然ながらに
あり、所管行政責任者として相当に重いと言わざるを得ない。

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2016年7月21日 (木)

党勢回復したのか?

 参院選挙の総括は、データに基づいた分析を基礎としなけれ
ばならない。
選挙後、前回選挙の17議席が32議席にほぼ倍増したとか、一人
区で2勝29敗だったのが11勝21敗になったとか、フワッとした
評価が飛び交っているが、これでは、あまりにも浅い議論だ。
 確かに、野党統一候補の擁立によって一人区の戦いを一定程
度互角の戦いに持ち込むことができたことは事実だ。
そして、その先鞭となったのが自らが先頭に立ってきた北海道
5区補選だったのだから、参院選で「野党統一候補」で戦った
こと自体は評価すべきだと思っている。
 しかし、あくまでも、295分の1議席を決める選挙、あるいは
政権選択ではない与党の中間選挙という位置づけの参院選での
話であって、この一人区の戦い方、結果を持って、軽々に「野
党統一候補としての戦い」をこれからの既定路線かのように結
論づけるべきではない。
 だから、私はかねてより「成果と課題の検証」が必要だ、と
主張してきた。現在、民進党奈良県連、そして党本部において
「参院選総括」のまとめ作業を行っているので、選挙区ごとの
詳細はその結果をもって論じたいと思っている。
 しかし一方、全国の比例区の得票率による「党勢が回復して
いるか?」の検証については、今後、誤った党運営が行われな
いように、ハッキリさせておきたいと思う。
 全国比例区の全有権者を対象としての「絶対得票率」の推移
を2005年の衆院選から、2009年衆院選、2010年参院選、2012年
衆院選、2013年参院選、2014年衆院選、そして今回の参院選ま
で、11年間で7回の選挙で比較してみる。
絶対得票率ということから、まず棄権であるが、今回は棄権率
は47.3%で2014年衆院選の47.4%とほぼ同じである。2005年の
34.2%から徐々に上がり、2013年より5割弱が続いている。す
なわち安倍政権下でこの状況が定常化している。
 その上で、自民党の比例票の絶対得票率は、18.9%と2010年
に底を打って以来2009年レベルにまで戻している。
すなわち、党勢はかつての態勢に近づきつつあるということだ。
確実に、自民党支持が強化されていると言って良いだろう。
与党の公明党は、7.1%と2014年7.0%と比しても変わらない。
では、民進党はどうか?
2016年参11.1%、2014年衆9.4%、2013年参6.8%、着実に伸び
ている・・・・、と考える...。
それは、違う!
甘い!!!
 今回民進党は維新の東軍と合流した。従って本来ならその分
が支持層として乗ってこなければならない。
今回のおおさか維新は4.8%。
2014年衆は維新は東軍もいた時であり8.1%。
すなわち東軍の比例票8.1-4.8=3.3%を併せて比例得票がなけ
ればならない。
つまり、本来なら、2014年衆9.4%+3.3%=12.7%にならなけれ
ばならないのが、11.1%。
この原因は何か?
共産党との野党連携による、改革保守勢力の忌避であろう。
すなわち、全国的にいえば、本来の民進党の比例絶対得票率を
野党統一候補の構図を見せることにより、減らしてしまってい
るのである。
一方、共産党はどうか?
実は共産党も2016年参5.7%、2014年衆5.8%と、0.1%減らし
ている。これは、おそらく、革新層が民進へと流れたところも
あるだろう。
つまり、全国比例の絶対得票率から見れば、
○自民は党勢を2009年レベルにまで回復させている。
○公明は変わらず。
○民進は野党連携により本来のレベルより減らしている。
○共産は野党連携により減らしている。
のである。
 また、社民の2016年参の1.4%、生活1.0%も過去から変わら
ないレベルで存在し続けており、改革、国民の怒り等々併せる
と1.8%水準となり、足すと4.2%と、これも無視できない状況
だ。
 以上のように、党勢回復したなどと、喜んでいられる状態で
はないと思っている。
 そして、与党含め改憲勢力に3分の2を与えてしまった厳然た
る事実を直視しなければならない。
つまりは、次の衆院選は、間違いなく憲法が争点となる。
党勢は回復どころか、実は低迷している中で、単なる「護憲」
では、対峙できないということも考えなければならない。
野党統一という選択が、相当に険しいということを念頭に置き
ながら、今後の戦略を立てる必要があるということを、この段
階では強く伝えておきたい。

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